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歩いたら休め

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【社会シミュレーション】実証主義に対する解釈主義と、社会シミュレーションで物理学の人がやるべきこと

この間の記事の続きです。

【勉強会】学生が主催する統計の勉強会ZANSAで発表してきました - 歩いたら休め

 

社会現象にはおそらく膨大な自由度があり、おそらくすべての変数の関係を記述するのは極めて難しいはずです。その中で数理モデルやシミュレーションは何のために行うのかと、私を含め、だいたいの人が悩んで研究していると思います。

 

そんな中、バイト先から借りてきた本の中に、面白い考え方が紹介されていました。

消費者行動論体系

消費者行動論体系

 

 

実証主義」に対する「解釈主義」という考え方です。

実証主義は、物理学を含め自然科学では一般的な考え方で、いわゆるデータを根拠に理論を作っていこうとする立場だと思います。

こうした実際の消費者行動を観察・実験・調査して因果関係を明らかにする研究のアプローチは,実証主義(positivism)と呼ばれることがある。1920年代のウィーン学団に起源をもつ論理実証主義(logical positivism)の立場では,観察可能な根拠(observable evidence)が科学であるために重要である。さらに言明が真理であるために,実証(varification)されることが必要であるとされる。ある命題に結論を得るために十分な実証的手続きが取られたならば,それは認識として意味がある(cognitively meaningful)と結論づけることができ,命題が真か偽かを確証できることになる。

その後、批判的合理主義や反証可能性などの考え方が紹介された後、解釈主義の考えが紹介されます。

もちろん消費者行動論の研究者のなかには,こうした方法論的立場が消費者研究のすべてではないと考える人もいる。解釈主義(interpretivist)的アプローチによれば,リアリティは社会的に構成されたものであり,ひとつだけのリアリティがあるわけではなく,多様なリアリティが存在するとされる。実証主義で目指される「予測」に対して,解釈主義では「理解」することが重要である。(中略)こうしたアプローチによれば,「真実の因果関係」が単一で存在するわけではなく,同時並行的に多様な因果関係が起こると考えられている。

そして「文化人類学者が儀式を参与観察するときって、よそものがいる時点で解釈が入る余地ができちゃうよね〜」(いわゆる観測者問題の話?)って話が続けられます。

 

また、以下のページに実証主義と解釈主義の考え方の違いが紹介されています。

第9回 日本の経営学と欧米の経営学は何が違うのか?変わりつつある、2つの異なる「主義」の正体|領域を超える経営学|ダイヤモンド・オンライン

 「解釈主義」と「実証主義」は、互いに対立する思想です。

 社会科学における解釈主義に基づけば、社会科学の研究対象は自然科学の研究対象とは異なる調査手法が必要である、との立場を取ります。そして、社 会事象を分析するのであれば、それに関わる人々自身がその事象を解釈しているように、研究者もその事象を解釈することを重視します。

 同じように、社会科学における実証主義に基づけば、社会科学の対象も、自然科学と同様に、実験や統計調査によって客観的な事実として捉えることが できるとします。したがって、観察者が異なっても同様の解釈が行えるよう、厳密な方法論を用いて、客観的な解釈を試みることを重視するのです。

 解釈主義と実証主義、どちらの立場に立つべきなのか、とくに社会学や哲学の領域では長年の論争が続いています。そのため、どちらが上で、どちらが 下であるということは言い切ることはできません。さらに、日本においても、欧米においても、双方の立ち位置が経営学の発展に寄与し得るとの考え方が広まっ てきているのも事実なのです。

 わかりやすい例は、解釈主義的な立ち位置を取る研究者は比較的に定性的研究を重視し、実証主義的立場に立つ研究者は、比較的に定量的研究を重視してきたという傾向です。しかし、その両者も、次第に逆のアプローチの価値を認め始めているのです。

そして「定性的な手法において仮説を導き出し、それを定量的な調査で検証する」手法が(経営学において)もっと評価されるべきなんじゃないか、と話されています。

 

私は社会の数理モデルを研究している上で、「ニュートン方程式みたいに、個人の動きをほぼ完全に記述できる理論が無いのに、個人の心理状態を超大ざっぱに記述してモデルを作って意味あるのかなー」と思って悩んでいましたが、定性的な理解を重んじる解釈主義に近い考え方で意義を見いだせそうです。

定量的な予測は無理でも、大雑把な近似でも、。物理っぽく言うと、「〇〇という要素(変数)が支配的な時、××という現象が発生する」という理解の仕方ができるんじゃないかと思います。さらに物理の人なら、「この現象を「ヒステリシスで説明できないか」「初期値依存性のあるモデルなんじゃないか」みたいなことまで考えられると思います。

 

また、「真実の因果関係が単一で存在するのではなく、多様な因果関係が起こる」というのも、「ひとつのモデルでその現象をすべて説明できるのではない(他のモデルで説明できる可能性は消えない)」という意味で納得しました。具体的にはこの前の記事のこの部分です。

具体的な例を出すと、複雑ネットワークのBarabasi-albert modelもそんなスタンスから生まれたモデルだと思ってます。あれは社会ネットワークのスケールフリー性を、「元々友人の多い人がさらに友人を増やす」性質で抽象的に説明したものですが、すべてのスケールフリーネットワークがこの性質で生まれているという保証はありません。妥当性の検証は、個々のネットワークを分析する際に、ミクロに見て「友人の多い人が(略)」性質があるか分析し、Barabasiさんのモデルが適用できるか検討するしかないと思います。

先ほどの「定性的な手法において仮説を導き出し、それを定量的な調査で検証する」って、まさにコレだと思います。ネットワークのスケールフリー性をBarabasiモデルで説明しておいて、個々の現象にそれが適用できるか(友人が多い人がさらに友人を集める性質があるか)を解析して、もし適用できなかった場合、新たな定性的なネットワークモデルを作るという繰り返しで、その分野を発展させることができるはずです。

そして私自身は、最初の定性的なモデル(Brabasiモデルに対応する部分)を作るためにがんばっているんだと、やっと自分の立ち位置を理解できた気がしますw

 

また、もう一つ、最初の前提(ミクロな性質)が同じならば社会現象(マクロな性質)が似ているということも言えると思います。社会シミュレーションの分野は、各々の研究者が個々の現象に対して好き勝手にモデルを作っており、「全然一般化できてないじゃん!」「先行研究があっても議論が積み重なってないじゃん」と思うことが多々あります。それをシンプルなモデル(例えばIsing model)で記述することにより、そのモデルの適用範囲が広がる&ハッキリするでしょう。

例えば個人の意見のモデルとしてIsing modelを考えると、大ざっぱに説明すると、個々の粒子(社会ネットワーク上の個人)が、周囲の粒子を見て多数派の状態を自分も採用する、というミクロな性質があります。逆に、そのミクロな性質(周囲で流行っているものを採用する性質)さえ満たしていれば、他の現象にも適用できるわけです。

例えば、iPhoneAndroidのどちらを使うか迷っているとき友人の中で利用者の多い方を使用するという状況を説明できるかもしれないし、個人ではなく会社のネットワークで、Windowsを利用している会社との取引関係が多いためLinuxMacではなく、自社でもWindowsを利用する、という状況も説明できるかもしれません。もしミクロなモデルの定性的な仮定が正しい(正しくない)ならば、これらの現象はIsing modelのもつ定性的な性質をもつことになります。

現状で社会シミュレーションの分野は、上の例で言うと「スマホの問題」と「会社のPCの問題」それぞれに対して、別々のモデルが乱立されている状況です。そういう様々な社会シミュレーションに対して、「これらのモデルって結局Ising modelの焼き直しだよね」って指摘しているような論文もあります

 

自分は元々自然科学の人なので、基本的には実証主義的な、データに合ってなかったら意味なくね?って考えです。しかし、そもそも統計物理でも 個体→液体→気体 の相転移を理解できる理論さえ生まれていないため、さらに膨大な変数が関わりあっていると考えられる社会現象は、数理モデルによる定量的な理解を寄せ付けないものかもしれない(=定性的な理解までしか不可能?)、と思わないでもないです。

そこで社会現象のある側面を取り出して近似する必要があるのですが、そのひとつの方針として、上に挙げたような解釈主義的な立場を取り入れた研究(定性的な手法において仮説を導き出し、それを定量的な調査で検証する)があるのかもしれない、と考え込んでいました。