非常に面白そうです。余裕が有るときに図書館に行って読んでみます。
まだ2章までしか呼んでないけど,「社会的世界の時間構成」,かなり面白い。これは読書会とかして,人と議論したい本だな。 http://t.co/rIWsFcjFb6
— Hiroshi Shimizu (@simizu706) November 11, 2014
現象学的社会学ではなくて,社会学的現象学かー 面白いなー というか自分がこういうことを考えていた/考えたかった,ということがこれ読んでわかってきた。やべーな。久々のうれし・くやし感だな。
— Hiroshi Shimizu (@simizu706) November 11, 2014
こういうことを言う師匠と,言わせる弟子っていいな。 http://t.co/StNV4b0apy
— Hiroshi Shimizu (@simizu706) November 11, 2014
この本の元になった(と思われる)論文の概要がありました。
DSpace at Waseda University: 社会的世界の時間構成 : 社会学的現象学としての社会システム理論
従来の社会学において、システム概念に対する把握のほとんどが、明示的にせよ暗黙的にせよ、空間性という観点にもとづいている。つまり、社会システムはミクロの人間行為者に対してマクロで、相対的に不変の構造のようなものと考えられている。それと同時に社会システムの存在論的身分はきわめて曖昧であり、非実在的な仮構のモデルとされることも多い。(中略)だが社会システム理論は、諸個人への還元主義に陥らずに社会的な創発水準そのものを扱うための有力な枠組でもあり、簡単に放棄すべきではない。よって、理論と実在との接触を基礎づける必要がある。
「ミクロの構成要素の組み合わせでマクロの現象を説明する」という発想があるように感じ、統計物理に近いものを感じます。私のように、社会現象に物理モデルを応用したいと考えている人が、暗黙のうちに使っている発想をちゃんと説明してくれてるんじゃないかと期待しています。
先行の諸研究と比較して本論文の示す独自性は、社会システムにおける「コミュニケーションの志向性」を指摘し、それを分析の軸としたことである。自己準拠的な社会システムの要素であるコミュニケーションは、つねに何ものかの意識であるエドムント・フッサールの現象学を可能にした意識の志向性に通じるものだが、社会システムもそうした志向性をもつとは今まで気づかれてこなかった。本論文はこのコミュニケーションの志向性の発見をもって、社会システム独自の観察能力に理論的基礎を与え、社会システム理論を「社会学的現象学」として再定式化した。
ぶっちゃけ半分以上何言ってるのかわかりませんが、面白そうな雰囲気を感じます。雰囲気。
また、Amazonで「現象学的社会学」と検索するとけっこうヒットします。