歩いたら休め

なんでこんな模様をしているのですか?

【本】『つながりの作法』を読みました

ちょっと変わった友達のMくんから『つながりの作法』という本を薦められ、アスペルガー症候群や、脳性まひの方が書いた『当事者研究』の本です。

つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく (生活人新書)

つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく (生活人新書)

Amazonのレビューを引用します。

同じ著者たちによる『発達障害当事者研究』に較べると,新書版で短いせいもあるだろうが,著者たちが「当事者研究」でめざすところをより意識的に明快に記述していて,読みやすかった。最近,高機能自閉症アスペルガー症候群の当事者の人やその家族からお話を聞かせていただく機会があったのだが,その内の何人かは,同じアスペルガーと言っても一人一人ものすごく違うので,単純にひとくくりに考えないで理解をして欲しいと強調されていたことを思い出す。著者の一人,綾屋さんの記述と重なるものである。

当事者研究の可能性を論じているところで,マジョリティとマイノリティの関係を三つの世代に分けつつ,「治療の論理」(多数者である健常者に囲まれたマイノリティ第一世代)でもなく「運動の論理」(マイノリティで集まった第二世代)でもない「研究の論理」(マイノリティの中でも多様性を認め合う第三世代)を導入することで,本当の意味で「わたし」を立ち上げられる可能性ができてくるという議論は,なかなか説得力があるように感じた。

特に上のレビューにもある「三つの世代」の話が印象に残っています。

  • 第一世代ー過剰適応する時期
  • 第二世代ー仲間と出会い連帯する時期
  • 第三世代ー多様性を認めながら連帯する時期

綾屋さん自身の体験(感覚が飽和する感覚)には自分自身の体験の中には共通していなかったのですが、この世代(というか個人の中の時期)の話はもっと普遍的なものじゃないかと思います。私自身は趣味や仕事のコミュニティで近いものを感じていた気がしていて、運良くプライベートで「第三世代」的なパラダイムの考え方の人と出会えていたと思っています。

また、最近、ソフトウェアエンジニアリングの組織でもさかんに叫ばれるようになった『心理的安全性』や『多様性』にも共通する話も多いように思います。

更に内容が気になった方はいろいろな方のレビューを読んでみてください。

rokujo.org

また、「あとがきにかえて」にある「近年自閉症と診断される人が増えている背景には、流動化によって不確実性を高めた社会のためじゃないか」「その社会では『自分と異なる他者はいてもいいが、まざってこられては困る』という、分断された『第二世代』が乱立する社会なのではないか」というような話も興味深かったです。

このような変化についていくことができる人は少ない。社会学者のリチャード・セネットは、「現代の個人は常にみずからの人生の物語を即興でつむぎだすか、あるいは、一貫した自己感覚ぬきの状態に甘んじなければならなくなり、傷を負わされている」(『不安な経済/漂流する個人』森田典正訳、大月書店、二〇〇八年)と嘆く。われわれのほとんどは、短期的なものに順応させられ、過去の経験をすすんで放棄する人間ではなく、人生の持続的な物語を必要とし、特殊なことに秀でていることを誇りに思い、自らのとおってきた経験を大切にする存在なのだ。

社会の流動化によって現代人が抱える生きにくさは、「身体内外からの刺激や情報を細かく大量に拾いすぎてしまうため、意味や行動の全体パターンをまとめあげるのがゆっくり」(綾屋)という自閉症者のいきにくさと、おそらく地続きだろう。

ちなみに、著者の一人が以前紹介した『ソーシャル・マジョリティ研究』という本と共通しています。綾屋さんの書く文章は、自分の認識している世界をできるだけ客観的に、苦心して自分の言葉で表現しようとしていて、迫力があります。

kiito.hatenablog.com