歩いたら休め

なんでこんな模様をしているのですか?

【本】『不安な経済/漂流する個人』を読みました

最近、先輩から「短期的なところだけでなんとかするだけじゃなくて、もう少し長期的な視野も手に入れるべき」というアドバイスを貰っています。エンジニアは一歩引いた視点でも物事を考え、全体最適になるように行動すべきだということです。

そういうこともあって、以前読んだ本で紹介されていて気になっていた本を読んでみました。安直ですが、以下のようなことは「新しい技術に次々に適合しなければいけない」プログラマーは特に感じていると思います。

このような変化についていくことができる人は少ない。社会学者のリチャード・セネットは、「現代の個人は常にみずからの人生の物語を即興でつむぎだすか、あるいは、一貫した自己感覚ぬきの状態に甘んじなければならなくなり、傷を負わされている」(『不安な経済/漂流する個人』森田典正訳、大月書店、二〇〇八年)と嘆く。われわれのほとんどは、短期的なものに順応させられ、過去の経験をすすんで放棄する人間ではなく、人生の持続的な物語を必要とし、特殊なことに秀でていることを誇りに思い、自らのとおってきた経験を大切にする存在なのだ。

不安な経済/漂流する個人―新しい資本主義の労働・消費文化

不安な経済/漂流する個人―新しい資本主義の労働・消費文化

前半はいろいろな観点から「短期的なメリットを追い求めることの弊害」が描かれています。特にシリコンバレーのエンジニアも例として挙げられていたのは面白かったです。ただ、私が興味あるのは「こういった状況をどう解決していくか」みたいな話なのですが、キーワードとして「物語性」「有用性」「職人性」が挙げられている程度でした。

NPO法人 働き方ASU−NET - 第97回 書評⑥ リチャード・セネット『不安な経済/漂流する個人』大月書店

その結果、組織へのロイヤルティーの低下、労働者間の相互信頼の消滅、組織についての知識の減少という3つの社会的損失が生ずる。

では活路はどこにあるか。セネットは最後に物語性、有用性、職人性という3つの「文化的な錨」を対置する。物語性とは人々が長期的展望を持って生きていくこと、有用性とは労働において自己が社会にとって有用と感じられること、職人性とは、それ自体を目的として何事かを行い、経験を積み上げていくことである。

セネットは、これらの錨を社会に打ち込む手掛かりについても論じているが、議論は文化や価値に重きが置かれ、総じて具体性に乏しいという不満が残る。とはいえ、表題さながらに不安な経済のなかで個人が漂流させられている日本でこそ、本書は読まれなければならない。