歩いたら休め

なんでこんな模様をしているのですか?

『インド人とのつきあい方―インドの常識とビジネスの奥義』で気になった箇所のピックアップ

ブックオフで安かったので買ってみました。なんとなく読み始めたのですが、多様性(異なる文化の尊重の仕方)などの話が非常に面白く、一気に読んでしまいました。

自己責任(オウンリスク)の考え方(P14)

いきなりこれが面白い。

つまり、断崖絶壁にも柵がない、というのがインド流である。自然には赤信号はないし、柵もない。一人ひとりが自分の行動に責任を盛って生きていくのがインド社会のベースになっている。

インドで道を尋ねると、知らなくても教えてくれる(P31)

一般的にインド人は親切である。「小さな親切・大きなお世話」という感じに親切だ。特に困っている人に対しては、親身に世話をする。「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」の精神で、困った人を喜ばせる心意気がある。

インド人はおしゃべりで、俺が俺がという自己主張が強い。それと親切とが結びつくと、どうなるかといえば、自分の前に立った人をがっかりさせないというかたちを取ることになる。

これ笑いましたw

論理的思考は得意だが、問題の整理やビジュアル化は不得手(P42)

インド人に資料を作らせると、紙面にびっしり英語を打ち上げてくる。すべての点を網羅して書き上げてくる。彼らの小難しい英語は読むのが大変で疲れる。苦心の末、日本流の箇条書きに直すと、「お前の頭脳は素晴らしい」と褒めてくれる。箇条書きに慣れていないため、資料を簡潔にまとめることが出来ないのである。交渉のときも、箇条書き的に問題を列挙しての考え方が苦手で、議題が整理されていないことがある。

多様性を認めつつ、自分の原義原則に従って思考し、判断し、行動する(P52)

「独自の外交」「形而上的な思想」「ゼロの発見」などの後にこの文章があります。

ここでは歴史に残るような際立った事例を羅列したが、一般のインド人は、日常の瑣事に対しても、一人ひとりがユニークな判断で事に当たっている。自分自身が信じている原理原則に基づいて思考し、判断し、行動する。その結果、インド人の行動は国際的に見て非常識と非難する人が出たりするわけである。一方、そのユニークな発想がIT世界の新しい展開に寄与している面もあると聞く。

カースト」「出身地」「国」という3つのアイデンティティを持っている(P69)

インド時間(P103)

インドの神話の特色は「どこで何が起こったかは明記されているが、何時は記されていない」という話の後に、現代でもその傾向が続いているという話があります。

事が起こったことが重要で、何時は問題にしないという観念がいまだに続いているのがインド流である。ある日本人が、数時間遅れているという友人を待つインド人に、イライラしないのかと聞いたところ、待つ楽しみについて説かれたという。友人が来ることが大切なことで、何時は問題ではないようなのである。

ただ、工場などで日本の「カンバン方式」が導入されてたりするらしい。P190の「仕事のやりにくさ」にも書かれています。

時間の観念の違いもやりにくさのひとつである。何時までに出来るかについて、インド人は「出来る出来ない」に重点を起きがちで、「何時まで」が等閑視される。時は金なりが、時間をかけても安く、と理解されたりする。待つこと待たされることに対しては不感症となっているようである。

ベジタリアンが多く、その実態はさまざま(P114)

様々な食生活の人がいるらしい。

  • 根菜さえ食べない
  • 野菜以外は食べない
  • 無精卵は食べるが、有精卵は食べる(殺生するかという論理)
  • 鶏と羊は食べるが、豚や羊は食べない
  • 淡水魚は食べるが、海の魚は食べない(聖なるガンジス川の魚は良いが、悪魔の住む海のものは食べないという論理)
  • 何でも食べる

ここで気を付けなければならない点は、牛乳や乳製品はすべての人がOKであるということである。五味というのは本来仏教典に出てくる言葉で、牛乳がいろいろ形を変えて最後に醍醐味になる過程の5段階の味を称したものという。従って、インドの仏教徒たちにとっては牛乳および乳製品は他のインド人と同様にタブーではなかった。

日本に行くインド人は「間違いは誰にでも、どこにでもある。だから、ベジタリアンにノンベジタリアンな料理を食べさせるような間違いがあっても、あえて言わないでくれ」という人たちがいることを付け加えておこう。

言語に関する二重基準(P175)

多様な言葉や文化があるので、言葉が通じなくて当たり前だと考えられている。

日本人がインドに行って言葉が通じなくても、それはむしろ当たり前のことであり、許される。相手の言葉を理解できないことなど歯牙にもかけず堂々と胸を張り行動して良いのである。

一方で「科学者、技術者、知識人は(母国語に近い)英語ができることが必須条件」とされているらしい。

日本から訪れた技術者の英語が堪能でないことを知ると、インド人は軽蔑さえする。英語を理解できない技術者などあり得ないのであるから、似非技術者ではないかと誤解されたりするわけである。

インドの企業はトップダウン(P192)

インドの企業では、下から上に話が上がることはあまり聞かない。トップが最終判断するのが通常である。中間管理職が判断を下して決定することは、限られた範囲のことばかりで、政策的な判断はトップ自らが行う。インドはトップダウンの世界である。

これは「異文化理解力」って本にもあった気がします。

インド人のIT技術者(P218)

インド人は親しくなると際限なくおせっかいであるが、一方、他人に対し無関心という心の使い分けもするバランス感覚が発達している。インド文化の根幹である多様性の中での共生は、そうしたバランス感覚によっている。そのIT求道者の中から無数の新規のアイデアが生まれてくるのではなかろうか。そして、その扱いにくいIT求道者たちを組織化することに成功した会社がレベル5に到達している。求道者の扱いを知っているのも、またインド人である。

日本人を評価する一方で(P249)

日本人は親切で、気配りがある一方、鼻持ちならない傲慢な人たちであるとも理解されているようである。インド人より自分たちを常に上に置き、インド人の仕事を心から信用することはないし、文化的には日本の方が優れていると思い込んでいるのが鼻もちならないという。常に教える側にあると自負を持ち、素直にインド人の仕事を評価しない。特にITの世界で、日本語のインターフェイスが文化の違うインド人にできるわけがないと考えていると指摘している。

また、次のようにも書かれていました。

インドのように多様性の共生する世界では、他のコミュニティーの悪口は言わないのが鉄則である。目の前の相手を喜ばせるやり取りが最優先するので、インド人から感情を逆なでするような本音を聞き出すのは容易ではない。でも、彼らの本音は非常に参考になるし、反省させられる。

インド流仕事の進め方(P250)

この章は面白いです。

インド人が仕事をするときには、仕事について説明はウケるが、それ以外のことは関係ないので立ち入らない。ひとつのプロジェクトを立ち上げるときに、仕事の分担は明確に線引きして、権限も明確に分離させる。

  • インドでは会食の文化がない。食生活が人によって違いすぎるので、一緒に飲み食いするのが士気の鼓舞につながらないこともある。
  • 仕事以外のことで意見の一致を求めるようなことはあり得ない
  • リーダーは細部まで指揮する

また、その次の章も面白いです。

  • できるインド人は転職する。ただ、辞めた人からいろいろと情報が入ってきたりする。

インドでの仕事術(P267)

別にインドに限るわけではないが、自分の考えていることを誤解なく相手に伝えることがまず肝心である。洞察力に優れたインド人は、一を知ると十まで走ってしまうことがある。それで、二くらいまで日本人がしゃべると、かぶせてきて、こちらの言うことを最後まで聞かないことがままある。これは避けるべきで、こちらの言うことを最後まで理解させる。そのためには、しゃべるほうも工夫が必要である。思いつきで話すのではなく、前もって話す順番を考えておく。しゃべった内容を文書にしてその要約を渡す。大きな声で話す。話が面白い、情報をちりばめる、などの工夫があるとないとでは大違いである。

他にも組織や価格交渉の話もありますが、ちょっと飛ばす。

誇り高いインド人は、教えられることを嫌うから、教えるような態度は避けたい。相手の物知りぶりや、インターネットによる情報収集力を持ち上げ、それを補完するような形で言いたいところを売り込む姿勢が良いであろう。何時間か、何回か、この方法でやり取りしながら交渉をするうちに、こちらの言い分が相手の議論の中に入り込むようになったらしめたものである。そして、最終案は相手の口から言わせるのが最上である。

筆者が苦労してきた跡が見えますねw

インドを理解しようとする努力(P279)

庶民のインド通と、企業としてやり取りする相手は違うから学び方を気をつけろ、との忠告があります。

研修生たちに忠告したい。一般庶民の生活環境を理解することも大切であるが、上流階級、高級官僚、金儲けを目的とする事業化たちとのやり取りに習熟することのほうが企業から派遣されている皆さんには重要であることを理解してもらいたい。

ちょっとインドに行ってみたい気がしました。この記事を読んだ後でめっちゃ怖いのですがw

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