歩いたら休め

なんでこんな模様をしているのですか?

【本】ソフトウェアエンジニアが読む『ソーシャル・マジョリティ研究』

普段、ソフトウェアエンジニアとして仕事をしていて「複数人で目的を共有する難しさ」「自分の行動を言語化(説明)する難しさ」を感じています。

私はソフトウェアエンジニアの仕事を「いかに楽に欲しい機能を実現するか(もしくは今までに無かった機能を実現するか)」というゲームのようなものだと捉えています。そのために、

  • 関係者の説明の表層的な面に惑わされず、いかに妥当な目的(ゲームのルールや制約条件)を見つけるか
  • 注力すべき目的を見つけた後は、いかに妥当に実装していくか
  • ゲーム自体を、どうすれば自分や他のメンバーが楽しんでスキルアップできるか
  • (ルールの設計がうまくいけば)協力ゲームのはずなので、自分に不利な内容であっても率直に議論すること

というようなことを考えて行動し(ようとし)ています。ところが、人の特性や性格は様々なので、当然いろいろな問題が起きます。

  • このゲームのルールは「文脈」や「空気」のようなもので、人によってはきちんと明示し続けないと伝わらないこと
    • というか、自分自身だんだん外して変なものを作ってしまうこともあるため、それを防ぐためにも明示したい
  • (私の場合は)適度に友達と冗談を言いながらゲームしたいが、人によること😢
  • 鬱屈して協力ゲームだと捉えられなかった人がいた場合に、彼が逸脱してしまうこと
  • 斜に構えてゲームを楽しもうとしない人もいること

というわけで、みんなが楽しいルールを設計して、自分自身もゲームを楽しむためには、他の人の特性を理解しつつハック(※パワーワード)する必要があると思っています。また、ゲームをするからには友達と張り合いたいので、私自身が他の人に比べて異様にそそっかしいのをなんとかカバーしたいと思っています。

両方の視点で読んで面白い内容

…うまくゲームのメタファーでごまかしつつ長い前置きをしてしまいましたが、他人や自分の特性を知る例の一つとして「大人の発達障害」に興味を持っています。その中で ソーシャル・マジョリティ研究: コミュニケーション学の共同創造 という本を知り、二重に面白い内容だったのでご紹介します。

ソーシャル・マジョリティ研究: コミュニケーション学の共同創造

ソーシャル・マジョリティ研究: コミュニケーション学の共同創造

この本は「発達障害者の側から多数派社会のルールやコミュニケーションを研究」したもので、自分が該当する場合でも該当しない場合でも「こう感じる人もいるんだ」「あの時自分が感じてたやりづらさはこう解釈できるんだ」とフラットに説明してくれます。例えば私の場合、

  1. 普段私自身も暗黙的にやっているコミュニケーションのルールがフラットな視点で説明されている点(自分が該当しない場合)
  2. 「こういう感情を感じるべきではない」と考えていたような、以前の自分が抱えていた問題も説明されていた点(自分が該当する場合)

の箇所に特に目が止まりました。

目次

序 章 ソーシャル・マジョリティ研究とは  ・・・綾屋 紗月

第1章 人の気持ちはどこからくるの?  ・・・澤田 唯人

第2章 発声と発話のしくみってどうなっているの?  ・・・藤野 博

第3章 人の会話を聞きとるしくみってどうなっているの?  ・・・古川 茂人

第4章 多数派の会話にはルールがあるの?  ・・・坊農 真弓

第5章 場面にふさわしいやりとりのルールってどんなもの?  ・・・浦野 茂

第6章 ちょうどいい会話のルールってどんなもの?  ・・・浅田 晃佑

第7章 いじめのしくみってどうなっているの?  ・・・荻上 チキ

終 章 ソーシャル・マジョリティ研究の今後の展望  ・・・熊谷晋一郎 

以前の自分の問題と向き合う

先程も触れた「第1章 人の気持ちはどこからくるの?」の話が特に自分と被る内容が多いので面白く感じました。

感情の「理解」と「感受」の分類は今まで思いつきもしませんでした。「看護師はときに感受して、患者の不安や苦しみを共感的に把握する必要がある」というエピソードとして出されていた、『終末期の患者さんが自分の体をつねって感覚の残っている箇所を確かめる「爪の痕」のエピソード』は身を切るような内容で、強い印象に残っています。

www.herusu-shuppan.co.jp

おそらく自分は感情の「理解」と「感受」を以前は分けられておらず、「上司から怒られたときに感情ばかりに目がいき、指摘内容が入ってこない」という質問者と似た問題も起きていたように思います。また、「他人をわかりつくすことはできない」「傲慢になる可能性がある」というのも筆者の言う通りだと今は思います。「相手の感情を敢えて理解にとどめて、本質的な対処法をする」ような手段も必要かもしれません。

また、社会的な文脈で望まれる感情に合わせるために「表層演技」と「深層演技」があると言われ、深層演技の場合、時折「自分の本当の感情が分からない」状態になるそうです。

historie.jugem.jp

第2章や第3章は音声と認知心理学の話で、「あの人やけに声が小さいな」という人に何人か心当たりがあるのですが、もしかしたらこんな事情によるものかもしれないと思い至りました。あと、音を聞いたときの心理的な特性の話も詳しいので、チップチューンを作るときに役立ちそうですね。

第5~6章のコミュニケーションの暗黙的なルールの話は、普段何気なくやっていた会話の流れが定式化されていく様が面白く感じました。ただ、私の場合は『オープンな質問を通して「今後の方針を決める」ような会話のモードに入りたい』が、相手によっては『YES/NOの質問として捉えられてしまって噛み合わない』ような箇所に悩んでいたので、そこにピッタリくる内容は無かったように思います。

第7章の「いじめのしくみ」も、いじめの構造を指摘し、それが行われつらい制度設計にしてカバーしようという内容で、開発者として好感が持てる内容でした。

コードの内容を簡単に説明できるなら、多分いいアイデア

序章が特に読んでいて反省させられる内容でした。

というのも、支援をしようにも、あまりにも一人ひとりが抱えている経歴・特性・困難がバラバラなのです。実際に発達障害のコミュニティに参加したことがある当事者の方は、「同じ診断名なのに、自分とはあまりにも異なるいろんな人がいる」とお感じになったことがあるのではないかと思います。そこから推測されるのは、教育・就労・司法・家庭など社会のいろいろな領域で、さまざまな身体特性をもった人びとが一律に「コミュニケーション/社会性の障害」という診断名を押し付けられ、社会から排除されているという現状があるのではないか、ということです。

病名に限らず、レッテル貼りに使ってしまい、言葉を「問題を適切に分類して解決するための手段」として使ってこなかったことも、今考えたらあります。

また、こちらの文章も考えさせられました。(発達障害ではないのですが)私にはアメリカ出身の友達が何人かいて、彼らと知り合って駅で戸惑っている姿を見る前は「駅の看板の漢字が読めずに困ることのある人がいる」ことに私自身が気づきもしなかったので。

多数派の身体を共有している人たちは、自分たちを取り囲んでいる多数派のルールに違和感がないため、無自覚でいることができます。そのため、実は言語化できておらず、少数派に属する人たちから「どうしてこういうときにそういう行動をするの?」と質問されても、「そんなの当たり前でしょ!ひねくれた質問しないで!」とはねつけることになりかねません。

多数派・少数派に限らず、後輩のメンタリングをする際に「なんでこういう設計をしているのか?」と質問されることはあるので、そういった意味でも、できるだけ理由を明示できるようにしていきたいです。そうすれば、お互いの勉強になるし、運が良ければ議論してもう少し良い実装が見つかるかもしれません。

最後に

自分に合ったやり方を設計しつつ、エンジニアリングの仕事を…だけじゃないですね、開発者人生を楽しんでいきましょう💪

正直自分はソフトウェアエンジニアとして伸び悩んでいる気がするのですが、それはそれとして自分や周囲のプレイヤーも楽しめる(あるいは楽しむ邪魔をしない)ように工夫したいです。タイトルに反して、それほど技術者に限らない話になってしまいました。

また、当時の研究会の様子がこちらに紹介されていました。

d.hatena.ne.jp

ソーシャル・マジョリティ研究: コミュニケーション学の共同創造

ソーシャル・マジョリティ研究: コミュニケーション学の共同創造

タイトルは以前読んだこちらの記事を真似ました。こちらも「論理的な会話のルール」が明示されている素晴らしい本です。

medium.com