歩いたら休め

なんでこんな模様をしているのですか?

【メモ】「書かれていないこと」に注目する

私には英語圏出身の友達が何人かいるんですが、何を言ってるのか分からないときがあります。大抵プログラマーかアニメ・オタクなのですが、できるだけ自分の意見をしっかり(そしてなるべく建設的に)表明する能力や、時折日本人の私から見ると言動にカウンターカルチャーっぽさを感じることがあります。

人によっては日本語と英語をしゃべってるときに、それぞれの文化っぽく立ち振舞いの変わる人もいて面白いです。ある人は「私」を表すのに、日本人モードのときは顔を指差し、アメリカ人モードのときは心臓を指さします。

私も「(異なる文脈の相手に対して)建設的に意見を表明する」みたいなところは参考にしようと思っていて、それに影響した文化や歴史にそこそこ興味あったのですが、ちょうどいい本を見かけたので読んでいます。

授業力アップのための英語圏文化・文学の基礎知識 (英語教師アップシリーズ1)

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ただ、その意図とはあまり関係ない箇所が気になったのでメモします。

P69~、「マルクス主義批評」の紹介で「『ダロウェイ夫人』という上流階級の小説の中で、労働者が暗黙の前提として描かれていない」ことを指摘する批評が紹介されています。

上流中産階級の彼女が徒歩で大きな荷物を抱え,帰宅することなど不可能で,タクシーを利用していることは間違いないのだが,ウルフはその「目に見えないタクシー」を暗黙の前提として,描いていない.「目に見えないタクシー」から下部構造が,書くにも値しないと無意識のうちに思われ削除される/搾取される人々の存在が現れる.タクシーだけでなく夫人の衣食住が彼女の労働によって得られたものではなく,多くの労働者の労働によって得られていることが見えるようになる.

こちらの本の『不可視の階級闘争をあぶり出せ』で紹介されている「Can Jane Eyre Be Happy?」という論文だそうです。今の日本なら「コンビニ外国人」なども似たような立場かもしれません。

知の教科書 批評理論 (講談社選書メチエ)

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同じように、ソフトウェアエンジニアの仕事でも「暗黙の前提として描かれていないもの」に悩まされることが多いように思います。例えば「企画があるもののどう実装するのか具体的でない」「良いものを作れば広まると信じ切って、営業活動が考慮されていない」「データを組み合わせることが前提だけど、必要なデータが揃っていない」など、考え始めるといくらでもあります。今まで「なんかこのプロジェクト、現実味無い気がするんだよなあ」って違和感もちながら進んでしまっていたものが、一部は説明(〇〇が前提だけど考慮されてないじゃないか)できるように思います。

そうすると次は「どうすれば不可視の前提として省略されてしまっているものに気づけるか」という問題が出てくる気がするんですが、今のところは「実際モノ作って動かしてみる」「ラフを描いて経験豊富な、そしていろいろな先輩に見せる」くらい無いと思っています。